「ソマティック」とは?-歴史と概念-

「ソマティック」とはどのようなものか。

 

その背景には、「人とは何か?」「人間はどのように構成されている存在か?」という、古から続く人類の大きな問いがあります。

 

たとえば人間を「解剖学、人体の仕組み」で説明すれば、「骨や筋肉、臓器、血液や体液などで構成された生命体」と言えるでしょう。しかし実際のところ、私たちの多くは、「人間は、そのような物質的な要素のみで出来ているわけではない」ととらえてきました。

ルネ・デカルト

歴史をさかのぼると、古代ギリシャにおいては、人間は身体(ソーマ(soma)、カラダ、肉体)、魂(サイキ(psyche)、ココロ、精神)によって成り立つとしてきました。

また、世界の地域によっては、そこに「感情」「思考」「霊性」など細分化されたものも加わります。

 

そして、最も知られている概念が、17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトが提唱した「心身二元論」でしょう。

 

〝人間には「カラダ」と「ココロ」があり、この二つは本来的に、別々の領域に属するものである〟という認識です。つまり、「カラダ」と「ココロ」は別々のものだよ、という捉え方です。


カラダは物理的に見えて数値化しやすいいけれど、ココロは見えにくく、数値化しづらい。客観的、計量的、合理的に(つまりは三人称的に)捉えることになじまない「ココロ」は、客観的、合理的思考に基づく科学的探求の主要な対象にはなりませんでした。

 

それでも近代に入ると、還元主義に基づく科学の発展とともに、次第に「ココロ」の科学的研究も行われるようになりました。しかし、その研究の対象となった「ココロ」とは、測定可能な要素に還元することによって理解できるある種の「モノ」━たとえば、神経伝達物質やストレス値や認知機能などの観点から分析できることとして扱われるものでした。

レンブラント作『テュルプ博士の解剖学講義』


そのため、そのような三人称的(客観的)観点から外れてしまう要素(感情、道徳性、精神性、そして魂や霊性といったもの)は、非合理的で、正確な測定ができず、不安定で、非科学的な「研究に値しないもの」「怪しいモノ」として見なされるようにもなったのです。

 

もちろん今日では、感情や宗教性なども実証的な研究の対象になっています。しかし、そもそも実証的研究方法、エビデンスベイスト自体が三人称的探究法であり、それが唯一の方法とされる限り、研究対象を「怪しいモノ」まで広げてみても、本質的な理解からは随分とずれてしまいます。かえって「怪しいこと」を証明するだけになる可能性も否定しきれません。

 

わかりやすい例が「現代医学」です。多くの病院では、心の病気がある場合、身体の病気と同様に、投薬などの物質領域、身体面からのアプローチを主に行います。薬などを使わずに、ココロの病気に向き合うのは、臨床心理学、心理カウンセリングなどの心理の専門家(臨床心理士など)の役割。医師は「カラダ」しか扱わず、心理の専門家は「ココロ」しか扱わないというのが現状にあります。

 

しかし東洋においては、古くから「身心一如」という考えがありました。さらにデカルト以前では、「身体と心は一つには分けられない」という考えが西洋にもありましたし、近代においては、「ホリスティック」といった、人間の全体性を回復する思想も生まれています。

 

また、近代臨床心理学の嚆矢ジークムント・フロイトは「身体自我」を提唱し、集合無意識や元型論を唱えたカール・ユングは、「人間とは『心身の連続性(スペクトラム)』である」ととらえました。

前列左:S.フロイト、前列右:C.J.ユング

実は多くの先人たちが、〝カラダとココロは一つである〟としてきたのです。

 

今それが、「ソマティック」という新しく、かつ昔からある概念を通して、身体と心理、さらにはスピリチュアルな領域までまたがる広大な分野において、分断を乗り越え、統合へと至る思想、文化、療法、実践として花開こうとしています。


〝身体(肉体)は心に影響を与え、心は身体に影響を与える〟

〝身体と心が一致してこそ、人は全人的(ホリスティック)に回復する〟

これらを探求し、体験により学びを深めるものが「ソマティック」なのです。

 

なお、「ソマティック」として扱われるセラピーやワークには、それぞれの呼称/特徴があります。

次のページでは現代の日本にある、代表的なソマティックワークをご紹介したいと思います。