【連載】未来の「場」のつくり方 第5回 前編

身体のすみずみまで健康になったとき、どんなことがおこるでしょうか。

 

気力に満ち、からだが温かく、血液がすみずみまでめぐっている。

そして呼吸は深く、緊張もなく落ち着いていて、関節も滑らかに動き、軽やかに歩けるような状態。

そんな状態を味わったことはあるでしょうか。

 

アーユルヴェーダなどの教えによると、どうやら「健康」にはさまざまな「段階」「レベル」があるのだとか。

健康度が高まるほど人生の充実度や幸福度が上がっていき、ソマティックのワークで得られる気づきも大きくなっていくようです。

  

大きな意味での「健康」とその実践について。

養生ヨガ指導者の斎藤奏(あかな)さんにお話をお聞きしました。

「消化力」が人生と気づきの土台をつくる(前編)

斎藤奏(さいとう・あかな)

 

米国クリパルセンター公認クリパルヨガ教師。東京都生まれ。2006年、体調不良によりヨガを始める。2017年、全身に痛みや痺れを感じる「線維筋痛症」を発症するが、養生と漢方治療、ヨガの実践により、自己否定や恐れが病気を引き起こしていることに気づき、病気を克服。20191月、米国クリパルセンター公認クリパルヨガ教師となる。現在は、漢方医の中田英之氏とともに日常の養生とヨガの実践を通して健康づくりを行う「養生ヨガ」を提唱。オンラインでのヨガクラスを行う。https://yojyoyoga.thebase.in/about

健康とは「本質的な自分」でいること

ーーはじめまして。今日はよろしくお願いします。

 

斎藤 (合掌して)よろしくお願いします。インタビューをしてくださって、感謝しています。

 

ーー斎藤さんは、漢方医の中田英之先生(泉州統合クリニック院長(大阪・2021年8月開院予定))と一緒に、「養生ヨガ」の指導をされているそうですね。

 

斎藤 現在は、中田先生の患者さん向けに、オンラインヨガを教えています。

養生ヨガでは、アーユルヴェーダと東洋医学のベースである「消化力」を、ヨガをする上でも大切にしています。とくにオンラインクラスでは、ヨガと一緒に日々の養生法もお伝えし、患者さんの日常をサポートするように心がけていますね。

養生ヨガの生徒さんは、病名のつかない心身の不調に長年悩まされていた方も多いんですよ。

 

ーーそうなんですね。

 

斎藤 ええ。そもそも自らヨガをやりたいと思っていた生徒さんはほとんどいらっしゃいません。

心身のバランスを大きく崩しているときには、ヨガをすること自体が困難です。さまざまな理由からスタジオに通うこと自体、ハードルが高いと感じる方も多いでしょう。

 

けれど、実はその方たちにこそ、ヨガが必要だと私は考えています。

そのためには、まず身体の健康を取り戻すこと。すなわち、「消化力の安定」です。

養生ヨガのクラスでは、養生法を含めて生活をサポートすることで、中田先生の診療と生徒さんの日常との橋渡しをしたいと考えています。

 

ーーそうですよね。ボディワークを受けてたくさん気づきを得ても、身体の機能が落ちていたら元気になるのは難しいと思います。

 

斎藤 はい。ただ、医療的サポートで身体の機能や体調が回復したり、ヨガやボディワークで肩凝りなどが解消するといった効果は、あくまでも「健康」という本質に向かうプロセスで得られる「副産物」です。

 

養生ヨガでは、常に「あなたにとって健康とは何ですか?」という問いかけをしています。

 

サンスクリット語で、「健康」を「スワスタ(swastha)」と言い、アーユルヴェーダでは健康をこう定義しています。

 

健康とは、

ドーシャ(ヴァータ・ピッタ・カパの身体の性質)が調和していること。

消化力が安定していること。

体組織と老廃物の機能が正しく行われていること。

心・知性・魂が元気であること。

感覚器官が正常に働くこと。

 

さらに、この「スワスタ」という言葉はとても面白いのです。

「スワ」は「自分自身」、「スタ」は「そこに存在させる、置いておく」という意味があります。

 

つまり、本質的な自分自身であることが健康である、と言えるのです。

 

私はクリパルヨガ(ヨガの1流派。内面の気づきを重視するヨガ)のアーユルヴェーダのトレーニングでこのことを知り、衝撃を受けました。

 

私と中田先生の目指す健康のゴールは「本質的な自分になること」。

 

すなわち、自分とは何者であるのか、自分にとって健康とはどういう状態であるかを見つけてくること。これは、まさにヨガの実践です。

身体や胃腸機能を整えたり、ヨガやボディワークで気づきや感覚を磨いていくことは、自分の本質に向かうためのツールなのです。

 

ーー本質的な自分になることが健康であり、健康になるために養生があるということですね。

 

斎藤 そうなんです。

音楽家になる人生からドロップアウトしてヨガの世界へ

ーーそもそも、なぜ斎藤さんはヨガを指導されるようになったのですか?

 

斎藤 ヨガに興味が関心が向いたのは、自分のことを知りたいと強く感じたからだと思います。

 

幼少期の頃に遡るのですが、昔の私は、典型的な良い子だったんですよね。勉強ができて学級委員もやるようなタイプで。親や周りがどうしたら喜んでくれるかを先回りして考え、自分というものを確立したところがありました。

自分で自分を認めるというよりは、他人から認められることで存在価値を見出すという子どもで、それなりに積極的な性格でもありましたが、いつも周りの大人の顔色を伺うところがありました。

 

でも、高校2年生のとき、周りの評価に合わせて生きることが苦しくなってきて、突然、何にも興味がわかなくなり、学校に行けなくなりました。

何のために勉強しているのか、やりたいことが全然わからなくて。子どもの頃からピアノの英才教育を受けていたのですが、自分のためにピアノを弾いている感覚になれず、音大に行く道からは脱落しました。

 

ーーそうだったのですね。

 

斎藤 大学在学中もそれは同じで、思い返せば常にどこかで自信がなく、ここではないどこかを探して、言い訳をしながら生きていたように思います。

ずっと自分を探していた人生でした。

今振り返れば、私は「脾胃の力=消化力」がありませんでした。すなわち、胃腸機能が落ちていたんです。

身体を動かすより、頭で考え過ぎてばかりいました。

だから、「自分に必要なこと」と「自分には必要ないこと」を見極めることが心身両面で難しかったのだと思います。

 

24歳のときには、朝仕事に行くために化粧をしようとしたら涙が出て止まらなくなって、仕事に行けなくなってしまいました。

 

ーーお化粧ができなくなったのは、身体からサインが出た、みたいなことでしょうか。

 

斎藤 私は一体、誰のために、化粧をしてるんだろうと思えてきて。普通、そんなことで悩まなくていいんじゃない?って思いますよね。でも、何のために生きているのかと同じような感覚で、涙が止まりませんでした。

 

昔から、感受性が人一倍強いのに、それを誤魔化し誤魔化し、外で起こる現象に合わせることを続けていたから、疲れ果ててしまったのだと思います。

 

そんなときに、クリパルヨガに出会いました。 

あなたは自分の内面を見ていくヨガをやりなさい〜クリパルヨガとの出会い

ーーヨガとの出会いについて教えてください。

 

斎藤 ちょうど2425歳くらいのときに、ヨガに出会いました。

当時2006年頃は第一次ヨガブームで、表参道にホットヨガスタジオができたので、そこに行ってみたんです。

 

それまで、運動やダンスなど身体を動かしていたことはほとんどなくて、生まれてはじめてヨガをしたのでポーズをとるのはとても難しく、自己嫌悪に苛まれました。

でも、クラス最後の瞑想のときに、涙が溢れてきました。

お化粧ができなくて流した涙とは、ちがう涙です。

 

“ああ、私はこのままで良いんだ”と、自分の身体から声が立ち上がってくる。

 

「もう、いいんだよ」って、許されているように感じたんですよね。

 

この体験は、私のヨガの礎になっています。

 

ーーその感じ、とてもわかります。からだが教えてくれたんですね。

 

斎藤 そう思います。ヨガを体験した人の多くが感じることでもあると思います。

 

クラスが終わったあと、私が泣いていたのを見たヨガの先生が、私にこう言ってくれました。

 

「あなたは、自分の内面を見ていくヨガを、本当のヨガをやったほうがいい」と。

 

ふつうはクラスが終わったら、スタジオのプランの勧誘とかをするじゃないですか。

でもその先生は私に、当時渋谷に出来たばかりのクリパルヨガのスタジオを案内してくれたのです。

 

ーーそれからは、その先生に師事をしてヨガを始めたのですか?

 

斎藤 いいえ。残念ながら、それからその先生には一度も会えていません。

その後は、クリパルヨガのスタジオに通い始めて、三浦敏郎先生や三浦まきこ先生から主にヨガの指導を受けるようになりました。

 

クリパルヨガのスタジオでは、完成されたポーズをとることを目指すのではなく、呼吸とポーズを連動させ、身体で起きていることに気づきを向ける、という練習をくり返しました。

 

何事にもジャッジをしないこと。

自分の内面に存在するものにただ気づくこと。

目の前の現実や、困難と向き合うときに起きる、内面のエネルギーと共に在ること。

 

それらすべてが初めてのことでしたが、「これは自分に必要だったものだ」という確信がありました。

 

私はそれまで身体を動かすことをほとんどしてこなかったので、ヨガは自分の身体のコンプレックスや不甲斐なさと向き合う時間でもあったのですが、クリパルヨガと出会って、今あるものに気づいてこそ、私たちは成長していけるということを知りました。

なので、私は私に必要な時間をかけて学ぼう……というところから、ヨガの練習を始めていきました。

 

クリパルヨガは、「こういうポーズをとりなさい」とポーズを押し付けられるスタイルではなく、自分と向き合いながら体験を深めていけるのがとてもよかったです。

ヨガの聖地、インドにて。
ヨガの聖地、インドにて。

 ーークリパルヨガをやってどんなことが変わりましたか?

 

斎藤 私は、「もともと人は愛そのものである」ということを幼少期から感じることがあったのですが、ヨガをしていると、そのことを体験する瞬間が増えました。

常にここではない場所、自分ではない人間になることを求めてきたように感じていましたが、ヨガをしていると、理由はなくてもただただ満ち足りている瞬間があり、私はすでに守られているのだと感じる瞬間に触れることがありました。

 

ただ、残念ながら四半世紀培ってきた思考パターンは、そうそう変わるものではなかったです。

ヨガマットの上で訓練して得た気づきを、日常の自分のパターンにまでなかなか落とし込めていませんでした。

 

ーー分かります。よいセッションを受けても、根っこの自分って簡単には変わらないこともありますよね。

 

斎藤 はい。とくに私の場合、「ムリなことはムリだと言うこと」ができなかったんですね。

私はもともと体力のある方ではありません。

器はそれほど大きくないのに自分への理想が高く、自分を良い人に見せたいという気持ちが強かった。どんなことでも頼まれたら受け入れるのが私だと認識していました。

自己否定が強くて、今の自分を認める力がなかったからだろうと思っています。

 

29歳のときに結婚して、31歳で娘を出産しましたが、産後に大きく心身を壊し、その後の結婚生活はうまくいきませんでした。相手の性格もあったと思うんですけど、私自身が、いろんなことを先回りして、良き母、良き妻であろうとしすぎました。

 

娘が3歳になった頃、全身のあらゆる場所が痛むようになり、筋線維筋痛症(原因不明の強い痛みやこわばりなどが起こる病気)という診断を受けました。

ある日突然、腕がしびれはじめて、そこからだんだん全身に痛みが広がっていって。

 

コップの水があふれてしまったような感じ。身体は今度こそ限界でした。

 

(中編ー養生とヨガで自分を取り戻し、離婚。そしてヨガ講師になる に続く)

  

 

インタビュアー/半澤絹子 2020年10月下旬 Zoomにて