【連載】未来の「場」のつくり方 第3回 前編

2020年4月、センサリーアウェアネスのZOOMワークショップを受講したときのこと。

 

画面の向こうには、センサリーアウェアネスのリーダー・黒田有子さんがいて、ニッコリと微笑んでいました。

 

「こんにちは。」 黒田さんのやわらかな声を聞いた瞬間、私は涙が出そうになりました。

黒田さんがご自身の深いところとつながって、丁寧に語りかけてくれている…。それはまるで、井戸からきれいなお水を汲み出してもらったかのようでした。

講座にはアレクサンダー・テクニークの片桐ユズルさんもいらして、「黒田さんの声に影響されて、いま、自分も変化している」とお話しされていました。

 

センサリーアウェアネスは、「ただ、いまここにいる自分を感じる」という非常にシンプルなワークです。しかし、ゲシュタルト療法を始めとする、現代の心理療法に多大な影響を与えたワークであり、ソマティックの源流ともいえるものです。「いまの自分を感じ、自分とつながること」ーーそれは、日々選択を迫られる社会情勢の中で、本当に必要だと感じます。

 

今回、お話しいただいた黒田さんのストーリーは、黒田さんだけのプロセス、人生の道です。でもその道はきっと、他の誰かの「自分と深くつながっていく」プロセスにも通じる気がしています。

 

(※ 黒田有子さんは、10月11日(日)のソマティックフェスタに講師として登壇されます)

自分と深くつながることで、自分自身を信頼できるようになるーセンサリーアウェアネスとエサレン®︎ボディワークから学ぶー(前編)

黒田有子(くろだ・ゆうこ)

 

センサリーアウェアネス 認定リーダー。米国カリフォルニア州認定エサレン®ボディワークプラクティショナー。センサリーアウェアネス・ジャパン 共同代表。Sensory Awareness Foundation (USA) 会員。ゲシュタルトセラピーとの出会いをきっかけに、センサリーアウェアネスやエサレン®ボディワークの学びを始める。2013年、広島県福山市にサロン「なみの音」をオープン。現在は、エサレン®︎ボディーワーク、センサリーアウェアネス(オンライン含む)のセッションも行う。https://love-peace-esalen.jimdofree.com

センサリーアウェアネスと出会うー砂の「大仏」から始まった旅

こころとからだの世界に関わるようになったのは、2005年くらいのことです。その頃は会社勤めで、仕事について悩んでいました。私の「人生のミッション」というものがあるとするなら、それとつながっていない感じがしていたのです。収入のために割り切っていたのですが、しんどくなってしまって。 

 

悩みを解消するためにいろんな勉強をしようとしていた中で、ゲシュタルトセラピーに出会い、大阪のゲシュタルトセラピーの講座に半年間通いました。

 

センサリーアウェアネスを初めて体験したのは2007年です。

当時、大阪の「アウェアネス みどり会」さんでゲシュタルトセラピーを体験させてもらっていたご縁で「今度カナダにセンサリーアウェアネスを研修で受けに行くんだけど、一緒に来ない?」と誘っていただいたのです。

 

「カナダ、好きだし行ってみたい。行く行くー」。私は、センサリーアウェアネスがどんなものであるかは何も知らずに、軽い気持ちで答え、研修に参加しました。

カナダのコルテス島の入口。Mansons Landing
カナダのコルテス島の入口。Mansons Landing

カナダ・コルテス島でのジュディス・O・ウィーバーのリードによるセンサリーアウェアネス。ちょうど研修の1日目には、島で「サンドキャッスルデー(砂のお城の日)」という、砂像をつくる大会が催されていました。

森の中を歩いて辿り着いた浜辺。そこでのジュディスからの最初のワークの提案は、

 

「みんなでなにか、砂でオブジェを作ってみましょうか?」というものでした。

 

そこで私たち参加者は、日本人グループとアメリカ人グループに分かれて、砂像づくりを始めました。

 

日本人の私たちがつくったのは、「大仏さま」。泥んこになって、手も足も使って、土を重ねていって…。これがもう、楽しくてしょうがなかった!他のことを何も考えないで、砂を押しかためていきました。

サンドキャッスルデーでの大仏さま。今後の黒田さんのプロセスを見守るかのよう。
サンドキャッスルデーでの大仏さま。今後の黒田さんのプロセスを見守るかのよう。

センサリーアウェアネスのその他のワークも、無邪気な子どもの遊びのようで、みんなでワークをするそのひとつひとつが、とにかく楽しかったのです。正直そのときは何をしているのか、全然分かっていませんでしたが。(笑)

 

あっという間に最終日になり、「言葉を使わずに、いまの気持ちをペアの相手に伝える」というワークで、私はジュディスとペアになりました。

 

その時のことです。ジュディスに一生懸命、言葉を使わないで気持ちを伝えていたら、なにかがうわーっとこみ上げて、涙が出てきました。

目の前のジュディスを見ると、彼女も涙ぐんでいました。そのあと、ジュディスも言葉を使わずに、私に気持ちを伝えてくれました。お互いの気持ちは、言葉がなくても、ちゃんと相手に伝わっていたのです。

 

私はジュディスのことが大好きになって。日本に帰っても、「またジュディスに会いたいな」と思いました。そして何よりも、初めてセンサリーアウェアネスを体験して、私の気持ちや行動がとても落ち着いたことに驚きました。

そのことが、センサリーアウェアネスのワークショップに継続して参加してみようと思うきっかけになりました。

センサリーアウェアネスの師、ジュディス・O・ウィーバー
センサリーアウェアネスの師、ジュディス・O・ウィーバー

まるで子供の頃の自分のように

翌年の2008年、ジュディスが来日して、奈良県の飛鳥で開催されたセンサリーアウェアネスのワークショップにも参加しました。そのワークショップでは、「自分のままでいてゆるされるスペースがある」と感じられたことが、とても印象に残りました。

 

私は自己肯定力がそれほど高い方ではありませんでした。

自分を外に表現するのが苦手だったり、「自分を出してはいけない」「このままの自分でいてはいけない」と思うところがありました。

でも、センサリーアウェアネスのワークショップに行くと、自分のままで楽にいられるのです。私にとってセンサリーアウェアネスは、いつもは深いところにしまってある自分のやわらかな部分に、やさしく触れることが許される時間であり、おうちに帰るような懐かしい気持ちにしてくれるものでした。

ワーク風景。行うのは「自分を感じること」だけ。座っている自分、寝ている自分、歩く自分は何を体験しているか。感覚のささやきに耳を澄ませ、いまの自分に気づいていく。
ワーク風景。行うのは「自分を感じること」だけ。座っている自分、寝ている自分、歩く自分は何を体験しているか。感覚のささやきに耳を澄ませ、いまの自分に気づいていく。

ワークの体験を重ねる度に、少しずつ自分が変化しているのに気づきました。

 

会社では、いつも忙しくてついバタバタとオフィスの中を走り回っていたのに、センサリーアウェアネスのワークショップから帰ってくると、落ち着いてゆっくり歩けるようになっていたり、それまで強かった「こうでなければいけない」という考えが少しずつ外れていったり。

 

今回のインタビューは、「自分とつながる」ということをテーマに話してほしい、とオファーをいただいたのですが、センサリーアウェアネスで自分とつながることを続けているうちに、いつの間にか「自分って信頼できるんだな」と思えるようになってきました。

 

「私って、信頼できる」。

 

自分が感じることに従うと、自然な流れが生まれる。

 

「こうしたほうが上手くいく」と損得で動いたり、誰かが言っていた「賢い方法」に従うよりも、自分が心地いい選択肢を選ぶようになったと思います。もしかしたら自分の選択によって表面的には損をするかもしれないけれど、その選択が自分らしければ損とは思わないかもしれない。

誰かから「変な人だ」と思われるかもしれませんが、そもそも人はそれぞれ、他のどんな人たちとも違うから、みんな「変わった人」と言えますよね。

エサレン®︎ボディワーカーになる

エサレンのボディワーカーになろうと思った時も、直感に従いました。すでにセンサリーアウェアネスに出会って数年が経った頃でした。当時、転職をしてまた別の会社で働いていたのですが、仕事で理不尽な目に遭って。「なぜこんな目に遭うんだろう」と、とても悲しい気持ちになりました。

 

でも、その時、気づいたのです。「もっと自分を活かせる仕事をしたい」と思って前の会社を辞めたのに、結局、同じことを繰り返していると。この出来事は「いいかげんに気づきなさい」というメッセージかもしれない。

 

「じゃあ私、何がしたいんだろう?」と思った時に、どこからともなく「エサレン」という言葉が頭に浮かびました。アウェアネス みどり会にお世話になっていた時からエサレン研究所に行ってきた人の話は聞いていましたし、ずっと「エサレン®ボディワークっていうものがあるんだな」と、興味を持っていました。

 

1年くらいはリサーチをしながら自分の気持ちを確かめていました。

「エサレンのマッサージは気持ちいい」と聞いてはいたけれど、行ってみたいと思い始めた時点では、受けたこともありませんでしたから(笑)。そして、ある人のエサレン®ボディワークを受けて、これなら勉強してみたい!と思いました。勉強しても仕事にできるかどうかは分からないけれど、とにかく行こう、行きたいと。そして2012年、アメリカに渡りました。

 

エサレン研究所での日々は、夢のような体験でした。28日間、エネルギーに満ちたすばらしい自然の中で、愛すべき先生方、クラスメートたちと一緒に、触れて触れられて、泣いたり笑ったり。

 

エサレンのタッチを受けると、自分の深いところが反応するのに気づきます。余計な意図を持たず一緒に寄り添ってもらい、大切に触れてもらっているのを感じると、自分の中から必要なことが自然に起きてくる。どこかからだの奥にあった、声に出せなかった声を出す機会をもらえたりする。

エサレン研究所。海沿いの場所だからこそ、波と私たちのいのちのリズムが同調したタッチが生まれた。
エサレン研究所。海沿いの場所だからこそ、波と私たちのいのちのリズムが同調したタッチが生まれた。

エサレン®︎ボディワークを続けるというのは、自分を高め続けることなんだと思いました。仕事をしながら、人としての自分のあり方を高め続けることができるならば、それは本当に稀有な、ありがたいこと。どこまでできるか分からないけれど、帰国してもエサレン®︎ボディワークの学びを続けようと決めました。そうして、何かから解き放たれた気持ちで日本に帰ってきました。

 

また、エサレン®︎ボディワークを続けることで、センサリーアウェアネスも続けていける、そんなうれしさもありましたね。もともと、エサレン®︎ボディワークは、センサリーアウェアネスの影響を受けてつくりあげられたワークです。そんな歴史的なつながりにも喜びを感じています。

 

センサリーアウェアネスにしても、エサレン®ボディワークにしても、それぞれの人がいろいろな体験をされると思います。この記事を読んでいただいて、もし何かピンと感じるものがあるなら、実際にご自身で体験してみてくださるとうれしいです。

広島県福山市の黒田さんのサロン「なみの音」。中国地方ほか、四国・九州などからもクライアントが訪れる。
広島県福山市の黒田さんのサロン「なみの音」。中国地方ほか、四国・九州などからもクライアントが訪れる。

(後編ー感情ではなく、「感覚」にフォーカスする に続く)

  

インタビュアー/半澤絹子 2020年7月下旬 Zoomにて