【連載】未来の「場」のつくり方 第1回(中編)


からだとことばを通して、いのちの本質とつながる(中編)

瀬戸嶋充・ばん(せとじまみつる・ばん)

 

東京都出身。人間と演劇研究所主宰。演出家。大学を卒業する頃に演出家・竹内敏晴と出会ったことから演劇の世界に進み、演出家として活躍。以後、竹内氏が創始した「竹内レッスン」、野口三千三氏が創始した「野口体操」、宮沢賢治の物語の朗読を組み合わせた独自の演劇的アプローチにより、からだの可能性を高める指導を行う。東京・大阪の定期講座のほか、滋賀県の琵琶湖近辺での合宿も行う。オンラインでの講座も開催中。

https://ningen-engeki.jimdo.com/

宮沢賢治が紡ぎ出す「安全な場」

 ――ばんさんは、講座で「ことば」を使うことも大切にしていますね。そもそも竹内レッスンは、演劇的なアプローチを使って自分にとっての“本当のことば”を引き出すワークです。

「ことばが場に与える力」というものはあるのでしょうか?

 

ばん ありますね。ただし演劇という場では、ことばの意味以前に、「“全身”で声を出していくこと」が絶対的に必要です。大きい声で発すればよい、ということではありません。自分の存在そのものから声を発していくということが大事なのです。

役者たちが発する声の力が響き合って、存在そのものがぶつかり合うことで物語が生まれていきます。それがお客さんのこころを動かす大きな力になるのです。

 

でもそれは演劇の場だからできること。このやりとりを日常的にしていると、お互いのカオスをぶつけあってしまい、収拾がつかなくなります。

 

 

 ――カオスをぶつけ合う…。たしかに演劇関係の方って、ふだんも壁がなくて、ワイルドなイメージがあります。

 

ばん 竹内敏晴(※)は「カオス」そのものでしたからね。でも、「何でもかんでも解放すればいい」「ぶっ飛べばいい」というのは違うという反省が、僕にはあるんですよ。

 

(※)1925-2009。演出家。発声や動きなどの演劇レッスンにより、人と人との本質的なふれあいや人間の可能性を開くことを目指す「竹内レッスン」を主宰。『ことばが劈(ひら)かれるとき』(ちくま文庫)など著書多数。

  

――「自分を制限なく解放すること」は必ずしも良いことではない、とダンス/ムーブメントセラピーの取材でもお聞きしました。

 

ばん 一時期、竹内の研究所には「竹内さんのところに行けば、生きづらさや人生のうまくいかない感じが何とかなるはずだ」と期待してくる人たちも集まっていました。だけど、中には自殺してしまった人もいた。竹内の研究所にいたことが直接的な理由ではありませんが。

カオスになってしまうと、後がつらいと実感したんです。

 

――そこでばんさんが講座で行っているのが、宮沢賢治の朗読ですね。先日は、「雪渡り」を10人ほどで朗読しました。

  

この物語を、少し読んでみたいと思います。

 

……………………

 

【雪渡り】(一部抜粋) 作・宮沢賢治

 

 

「堅雪(かたゆき)かんこ、凍雪(しみゆき)しんこ。」

 

四郎とかん子とは小さな雪沓(ゆきぐつ)をはいてキックキックキック、野原に出ました。

こんな面白い日が、またとあるでしょうか。いつもは歩けない黍(きび)の畑の中でも、すすきで一杯いっぱいだった野原の上でも、すきな方へどこ迄でも行けるのです。

 

……………………

 

お月様は空に高く登り森は青白いけむりに包まれています。二人はもうその森の入口に来ました。

すると胸にどんぐりのきしょうをつけた白い小さな狐の子が立って居て云いました。

「今晩は。お早うございます。入場券はお持ちですか。」

「持っています。」二人はそれを出しました。

「さあ、どうぞあちらへ。」狐の子が尤らしくからだを曲げて眼めパチパチしながら林の奥を手で教えました。

 

……………………

 

みんなは足ぶみをして歌いました。

キックキックトントンキックキックトントン

 凍み雪しんこ、堅雪かんこ、

     野原のまんじゅうはぽっぽっぽ

 酔ってひょろひょろ太右衛門が

     去年、三十八たべた。

キックキックキックキックトントントン

 

……………………

 

 

ーーこの物語を朗読しているとき、「狐と子供たちの世界」にスーッと入っていって、からだの奥深くにある純粋な世界、意識のようなものにつながっていくような、そんな感覚がありました。

 

ばん 僕の生徒さんに名古屋在住の詩人の方がいるのですが、賢治さんの童話を声に出して読んでいると、自分が “ からっぽ ” になるんだって。

 

「ことばを語ること」で、人は、自分自身との関係を離れたり、近づけたりと、変えていくことができます。もっと細かく言えば、意識と自分との関係性を変えていけるのです。

 

――雪渡りを朗読していることが、とにかく楽しくて、心地よくて。ことばをとおしてここまで違う世界につながっていけるのか…と。私はことばを扱う仕事をしていますが、とても驚きました。

 

ばん 賢治さんの物語は、目で読んじゃダメ。声に出さないと。僕は目が字を追っていると眠くなっちゃう(笑)。

 

――朗読をしながら、「あ、これでいいんだ」「こういうあったかい世界が好きな自分でいいんだ」という深い肯定感がじわ〜っと溢れてきたのを今でも覚えています。

 

ばん こういうことを記事にしても、実際にやってみないとわからないよね(笑)。朗読するときは、1人でやるよりも、みんなでやるほうがおすすめ。1人だけで読んでいるよりも、違うものが伝わってきます。

 

初めて朗読をする人はびっくりしますよ。「物語から伝わってくるものがこれほど違うのか」って。僕も毎回新しい発見があります。

 

 ――自分が考えて出したことばではなく、セリフをしゃべっただけなのに、自分の深い部分とつながっていったのがとても不思議です。

 

ばん それが「物語」の力なんですよ。

 

 

宮沢賢治
宮沢賢治

 ――どんな物語でも朗読すれば、自分とつながる体験ができるものですか?

 

ばん どうかなあ。ただ、賢治さんの書く物語は独特のものがありますね。彼の物語は、読んでいるうちに「安全な場」が立ち上がるの。「あっちの世界」に連れて行ってくれるけれど、安全なんです。

 

――たしかに、「キックキックトントン」といったことばの背景に、雪や森などの、豊かで懐かしい自然が広がっている感じがあります。

 

ばん うん。賢治さんの物語は、不思議と世界に入っていけるんですよね。

 

彼は仏教徒なので、「すべての命は響き合っている」という思想が物語にあるのも大きいと思いますね。それが物語にも現れている。いのちが響きあう、聞こえないけれど何かが聞こえている、力がうごめいている、そういう面白さがある。

 

僕は最近、法華経を読んでいるんだけど、同じですね。法華経も「人間や動物などがみんな集まって、お釈迦様の話を聞いている」という物語です。だから安心して物語の中にいられるんじゃないかな。

 

――ひょっとして、宮沢賢治の朗読は、「統合」のワーク、なのでしょうか?

 

ばん ええ。統合です。からだとことばが一つになるから。結局は自分のからだ、いのちの肯定です。

僕は、それがソマティックというものだと思っています。

 

――ありがとうございます。ぜひ皆さんもご自宅で、ご家族と一緒に宮沢賢治の物語を朗読してみてください。ばんさんの講座では、なんと、「虎になって宮沢賢治の朗読をするワーク」なども行っているそうです。

 

※ 「雪渡り」はこちらから読むことができます。 青空文庫 「雪渡り」(新字体版)

 

後編ー今こそ、自分のからだとこころに出会うときーに続く

 

 

インタビュアー/半澤絹子、吉田裕子 2020年2月 東京・小金井にて(後日インタビューあり)